SoundCloud/note 自作曲の話 #1
市井ヒロノ 最初の活動拠点は「note」と「SoundCloud」でした。
その「note」と「SoundCloud」にて、過去の自作曲を公開しています。
この場所では、曲の思い出を語ります。
・りんご飴
・後姿
・初夏の小さな冒険
・薬箱
・夜が明ける
引用は発表当時のnoteより。
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♪りんご飴
幼いころにお祭りで見た屋台のりんご飴はやけに赤く、そして魅力的で、一度は食べてみたいなと思っていました。結局一度も食べたことはありません。オリジナル曲ですが、どこか聴いたことあるような節でもあり、それが未だにわかりません。
ノスタルジックなオルゴール曲。
ピアノ経験があったため、作曲を始めた頃は「MuseScore」という楽譜作成ソフトで楽譜を書く という作曲方法をとっていました。
上に挙げた話を思い浮かべながら書いていたら するすると曲が完成してしまい、「無意識に何かの曲をなぞっているだけでは……」と疑心暗鬼になったことを覚えています。いまだに”こういう曲を作りたい”と思い返す1曲ですが、なかなかそう簡単にはいきません。なぜ書けたのかわかりません。ビギナーズラックというものでしょうか。
♪後姿(うしろすがた)
オリジナル曲。ピアノとヴァイオリン。
「すれ違った女性をどこかで見たような気がして、去っていく後姿を見ながら胸がざわめく」といったストーリーを想定して作りましたが、どことなくファンタジーみたいな曲になりました。
ヴァイオリンを弾いたことがなく、勝手がわからないので無茶なメロディかもしれません。すみません。
劇伴……『劇伴音楽』(ドラマや映画の音楽)が昔から好きで、小さい頃は劇伴音楽の作曲家になりたいなと思っていたころもありました。映画を見てもドラマを見てもアニメを見ても気になるのはいつも音楽で、これまで買ったCDも歌ものよりサントラの方が多いです。
これが劇伴だとしたらどんなシーンでしょうか。終盤、次回予告の手前、去っていく後ろ姿だけが見える、緊迫したシーンでしょうか。……このような妄想も楽しいものです。
♪初夏の小さな冒険
短いピアノ曲。
GWは良く祖父母の家へ遊びに行ったものでした。山の中だったので周りは自然が一杯で、麦藁帽を被り、鮮やかな新緑の中を走り回った思い出があります。目に映る物事はどれも新鮮でした。今、元気に走り回る子どもたちを見ると、その感性があるうちに色々なことを見聞きしてほしいな、などと考えます。
…こどもの日は過ぎてしまいましたが、そんな風景をイメージした曲です。
自分で言うことでもないのですが、好きな曲です。自分が見た風景が音になっているからです。
話に出てくる祖父母の家は人里離れた山奥にあり、ガードレールすらない悪路を車でゆくときは毎度生きた心地がしませんでした。玄関チャイムもない家は、番犬がインターホンがわりで、いぬ(ポチといいました)が吠えると祖父母が出てきてくれました。
夕方、ポチの散歩が自分に割り振られた仕事でした。ポチと一緒に家の裏の山道をのぼっていくと、新緑がゆれる音だけがざわざわと自分を迎えてくれました。ポチを連れているのかポチに連れられているのかわからないまま坂道をのぼりきり舗装された道に出て、そこからまた来た道を引き返します。猪などが出る山をよくもまあ怖がらずに一人で行ったものだと思います。子供は無敵です。
ポチはもういません。今は祖母が一人で暮らす、あの家。もう一度行きたいです。
♪薬箱(縁側)
オルゴール曲
夏の終わりにいつも思い出すのは実家の縁側です。
子供のころの記憶であることは確かです。すぐに季節外れとなるであろう風鈴が、夏の終わりにまだ揺れていました。縁側の突き当りに棚があって、子供では到底届かない高い位置に薬箱が置いてあり、”薬”という厳めしい字が格好よく見えました。「あの箱取って」と親に頼みたかったけれど何故だか頼めませんでした。内気な私は、よく縁側に座って、ひとりでぼんやりと庭を眺めたりシャボン玉を吹いたりしていました。当時は今よりもっと病弱でした。薬箱に興味を持ったのは、"薬"という文字を日常的に見ていた故に、どこか親しみを覚えたからかもしれません。
あれから何年も経ち、いまだ病気とは縁が切れないでいます。しかし鏡に映った自分を見て「どうも病弱には見えない」と笑えるだけまだ元気なようです。
夏の終わりにいつも思い出すのは実家の縁側、ひとりで過ごしたあの時間です。
エッセイに曲を添えたと言う方がいいのでしょうか……
シンプルで穏やかな曲。こういう曲をつくりたいですね。
自分と病気との付き合いはおそらく生涯続くのだろうと思いますが、幼少期のことを考えると、少し元気になった部分というのもあり 生きててよかったな~と思います。この曲を作ったときはまだ強がっている時で、「元気」などと言っていますがこの数か月後倒れました。心のどこかで「身体が弱いのはだめなんだ」という気持ちがあったんだと思います。いまはもう、弱くてもそれなりにやろうという気持ちです。
件の薬箱はどこに行ったのか、もうありません。
♪夜が明ける
夜中の3時頃に苦しくて目覚めることがあります。心臓もどこも悪くはないのに。そんなときはなかなか二度寝もできず、ふらふらと窓辺まで歩いて、そこで夜が明けるのを待ちます。
普段は気にならない窓枠の埃などを気にしているうちに、いつの間にか朝が来ています。レースカーテンを通しても尚朝日は眩しく、カーテンのひとつひとつの網目とか、その向こうに流れていく雲までもが気になります。
病弱な人間にしばしば訪れる、繊細にならざるを得ない朝です。大抵、繊細なのはこの朝のひと時だけにして、あとは1日を、他の人と同じように元気そうに過ごします。朝日の眩しさをいとおしむ精神をもって立ち向かえるほど、私にとって生活はたやすくありません。
ピアノ曲。夜の止まない思考のイメージ。
自分のことを面倒な人間だなと思って生きてきました。この曲を作ったのは2017年の暮れ、一番その「自責」がひどかった時期で、細かいことが異常に気になって、常に自分を責め続けていました。心の健康を考えるとよくないですね。一度経験してみるとまた起きそうになったときに「これはまずいな。休もう。」と気づけるのですが、みなさんは一度経験する前にとにかく休んでください。かなり体育会系の思想のもと育ったので、常に言われていたのは「限界の向こう側」という言葉なのですが、そんなところを目指さないでください。
限界の向こう側は、死です。
未然に防ぎましょう。無事に朝を迎えましょう。
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