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市井ヒロノ 最初の活動拠点は「note」と「SoundCloud」でした。

その「note」と「SoundCloud」にて、過去の自作曲を公開しています。

この場所では、曲の思い出を語ります。


・monorail

・星

・朝日

・雛祭り

・190311_知らない


===



♪monorail

インスト。

「大阪モノレール」という、大阪・門真市~大阪空港を結ぶ路線があります。その大阪モノレールに乗っているときに思い浮かんだ曲です。

この曲は最初数秒は音がこもっていて、そこからクリアな音に変化するのですが、これは停車から出発までを表しています。 駅を出発して 視界がひらけた時の楽しさといったら!

ちなみに万博記念公園駅あたりの一般道と高速道路を見下ろしながら走る区間のイメージです。太陽の塔が見えるあたりです。なんてローカルな話なんだ。

 ※上で挙げた場所の参考動画:https://youtu.be/pIJK3dYm2Zs?t=925


♪星

オルゴール曲。このころはコンプレッサーの扱いがよくわかっていなかったので、音量が小さいです。すみません。

日が暮れてから路線バスに乗り、山を越えて別の街に行ったとき、考えていた曲です。わくわくしているのだけれど少し怖さもある。一度たりとも落ち着かない、自分の脳内(多動)をよくあらわしているなあと聴くたび思います。

このような展開の多い曲はピアノロールではなく楽譜ソフトで書きます。個人的にはそちらのほうが頭を整理しやすいです。いまだにピアノロールはちょっと苦手です。

最初から最後までずっと動いてる曲。

♪朝日

2019年最初の曲は、最近聞いた音を入れつつ作りました。平成の最後まで、明るく慎重に過ごしたいものです。ハープの演奏技術をもっと上げて、曲に取り入れられれば良いなと思っています。


2019年最初の御挨拶に添えた音楽。

「一月一日(〽年の初めのためしとて~)」をオマージュしたり、電車や雑踏の音(フリー素材)を使ったり、台詞を入れたり、かなり自由につくった曲です。おもちゃ箱のような楽しい音楽を目指しました。音はアジアンテイストで楽器は和洋折衷で台詞は英語。多国籍。

おせち食べておもち食べて、テレビを見て、のんびりしたお正月。

♪190301_雛祭り

記憶が曖昧ですが、3月3日に曲を上げるつもりが用事で上げられず、ならばと3月1日に先に上げた覚えがあります。なのでタイトルは「雛祭り」。かわいいオルゴール曲です。

ひな人形を箱から出して飾る作業が好きでした。こんな業者さんになりたいと思ったことがありましたがそんな業者さんはいるのでしょうか。ひなまつりは楽しい思い出がたくさんあります。飾り終わって最後にぼんぼりをつけたときの華やかさ。ひなまつりの日を待たずして食べて怒られた記憶しかないひなあられ。人形のおまけについてきた、妙にテンポの速い「うれしいひなまつり」が流れるオルゴール(テンポが速すぎて一緒に歌えない)。

♪190311_知らない


noteの文章も一緒に読んで頂けるとうれしいです。

物語に添う、サウンドトラックのような音楽を作りたいと考え出したのはこの頃からだったと思います。ピアノは複雑な和音を作ることができるので、複雑な表現をしたいときに多用します。ハープは素直で素朴な響きを出したいときによく使います。楽器を弾いていると楽器の性格が見えてきて面白いです。


noteはこちら


オリジナル曲

秋の日差しのイメージをもって作った曲です

間奏部分に展開をつくったのが新しい試みです

ちなみに写真は関空(関西国際空港)で撮ったものです


「帰ることになった」

見えすいた嘘でも

黙っていた

そこが似ていた 僕ら


「僕のせいだ」って

そうやってぜんぶ

うやむやにして消えようとして繰り返すんだ


「寂しかったら、寂しいって言って」

君も言えない人なのに さ


この空しか知らない君に

言えないことがいくつもあった

優しい人と暮らせたことを

忘れずにいたいよ


ターミナル

誰を待つ

何を待つ


僕はいつか俺になって帰ってくるかもしれない ぜ


この空しか知らない君に

言えないことがいくつもあった

優しい人と暮らせたことを

忘れずにいたいよ


ターミナル

誰を待つ

何を待つ


オリジナル曲


悼む歌


いま生きている人のことを想うとき、いま生きているというだけで、うれしいです。

居なくなった人のことを想うとき、

その人も過去にはたしかに生きていたのであり、そしていま私はそのことを想えるのであり、それなら、うれしいかなと思います。

そうやって私たちは日々をどうにか過ごしていきます。みなさんどうぞすこやかに。



単調な生活のメロディ 

短調はいつから消えた?

痛みを見ないでいたら

自分ごと遠ざかっていった。


ぜんぶ得意なあのひとは、私になんて言ったかな。

苦手だから、まだここにいるよ。それもまたいいよ。


変わらぬ日々が良いと思い込んで、

あかるくいれば良いと思い込んで、

あなたを傷つけない言葉を探しているうちに、






言ってくれたらよかったな。

言ってくれたらわかったよ。

言ってくれたらよかったな、

言ってくれたら、わかったの?






道端の花束はしおれ

弔いもいつかは消える。


それでも

小さな花を買って帰る。


お彼岸を過ぎてもまだまだ暑い

みなさま お変わりありませんか。


なにかにつけて自信がない夏でした。

自主制作の「ミニアルバム」らしきものができたので 発表しようとして、「アルバム」ほどのサイズはない、かといって「シングル」ほどコンパクトでもない、そうなると「EP」がちょうどいいのかな?と色々調べて、音楽用語がよくわからなくてパニックになり、喉が痛くなるほどチョコを食べました。行きつくところが愚か。


秋にさしかかっても、かわらず愚かにすごしています。

「EP」は、無事完成しました。


「2021_Summer (feat. Miku Hatsune)」


軸はピアノやシンセ。ハープは出てきません。

普段の曲の雰囲気を考えると『番外編』と位置付けたい曲たちです。


1曲ずつ制作記録を書きます。


1. from

1分程度のキャッチーな曲。

デモをつくったのは高校のころです。音楽発表をしていない、初音ミクを持っていない、バンドをやっていたわけでもない、そんなころになぜか「デモ曲」だけひたすらつくるという怪。どこに持っていこうとしていたんでしょうか。

とても明るい曲なので、”市井ヒロノ的ではなく”、発表機会を逃し続けていました。初音ミクOriginalの歌声は素直で、このような曲のためにあるのだな……と感じました。


今日でさよならを告げた


街はきらめいて
雨の香りを残してる
駆けだしたんだ
この世界に跡を残すように
何度挑んでも うまくなんていかない
それでも今日だって 前を向いて 進むんだ
 

さあその手に 輝く日を

恐れて眼を閉じた

そんな自分には

今日でさよならを告げた

新しくなっても そばにいてね

2. show

ピアノメインのパリッとした曲。盛夏。

「初音ミクの楽曲」と聞いて自分がイメージするのはこういう曲です。変わったリズムのあてかた、スタッカート気味の歌い方、歌詞の詰め込み、どことなくダークな空気を纏う曲調、などなど。

ギターに関しては素人なので”こんなフレーズないぞ”ということがあったらすみません。


夏のさなか、君の身体の幻を見た。
眼の奥に光った。
味気ない日々に幻だって十分だ。
君。
気は晴れたか。
摺りガラス、夏の太陽、
透かして照り付け煽ってく。
焦ってんな
重力下、従順な順応か。
迷ってんなら只飛び込めばいいんだろ。
どうにもならない夏の日を打ち破る夢を見て

踊れよ、世界が廻る限り。

3. letter

ミクさんの声がとってもかわいいですね。ピコピコした曲調もかわいいですね。

とりつくろって かわいい。

親元を離れて下宿している友人たちの話を聞き、その生活の荒みっぷりにおびえ、そしてこの曲ができました。(もちろん歌詞の内容は完全に架空の話です。)全編を通して子供が親に手紙やメールを書いているイメージで聴いて頂けると、しっくりきます。ただこの主人公はおそらく親に律儀に連絡するような子でもないと思います。

「平成の子」はみんな、どうにかなるでしょう。なるといいな。


『元気です。
 しばらく帰りません。
 夜更けの缶と生活の味を知りました。
 不自由を正義のようにかざされることもなく。
 友達ができても、恋人ができても、
 憧れたロックスターは遠いまま。
 かわいく着飾って、「お前」と言うたびに、
 胸に矛盾がはじけて痛みます。』


『元気です。
 しばらく帰りません。

 将来はどうにか、どうにでもなるでしょう。

 「みんなと同じように」生きた

 平成の子ですから。』


4. highway

つぶつぶのシンセの音色を聴いた時に浮かんだ情景です。「名神高速、南インター、長い下り坂」 情景を限定しすぎている気がしますね。 ほんとうはこの曲の様に、途中で転調を挟む曲をハープで弾きたいのですが、構造上、弾けません。かなしい。

箸休めのような ぽわんとした曲です。ミクさんの無声音の発音が好きなので、この曲でも多用しています。


夜の中
等間隔に浮かぶ光を鼓動とともにくぐって、
名神高速 南インター 長い下り坂、
等速で 走り続けた
夢の中みたいに一人で夜を泳ぐ。
つま先と両手だけが生きてる。
帰り道は予定調和の逃走劇。
ああ、距離を知る この道が終わらない。


夕闇に非常電話の文字が見える。
繋がるかしら、SOS。

悲しいけど通常なのよ

走れてる限り。

等速で 通り過ぎた

柔らかなシートに沈み込んで眠って、

どこか知らない場所で目覚めたい。

帰り道はうら寂しい逃走劇

ああ、距離を知る この道よ終わらないで。

5.fiction

とってもたのしいきょくです 

おわり

…………ノリがよくて退廃的な曲をつくってみました。曲に合わせて「インターネット」と合いの手が入っています。気の抜けたオルガンの音が響きます。もっとポップにアレンジしてもよかったかもしれませんね。制作中、パソコントラブルで、この曲がループで鳴りやまなくなるという事件も起きました。気がふれるかと思いました。

もちろん、歌詞も曲も全部フィクションです。タイトルの通り。


虚構のなかで 
今日もいくつか嘘をついたよ
全部嘘の世界でつく嘘はほんとなんだって

虚構のなかで もうがっかりしたりしないんだよ

大人になるってあきらめることなんだって


週休二日制のこども

最低 更新の日々なことも 慣れっこ 

ただ続く鼓動

昨日よりはまし


「そういうひとたち」

自分を除いてパーティー

いつもいっしょにいるの

そんなはなしでわらうの


「そういうひとたち」

自分を除いて安心

いつも居ないことだけがアイデンティティ

まし まじ まし


虚構のなかで 

今日も感情は乱高下

きらきら疲れたらこっちにおいでよ

きみの「最低」の底をたしかめにおいでよ


という全5曲でした。

各曲の音量バランスを調整したり、カバーイラストを描いたり、いろいろと「アルバムっぽい作業」ができて夏の思い出になりました。



秋冬は制作ペースが落ちますが、またいろいろと作っております。

よければまたなにか聴いて頂けるとうれしいです。


初音ミクボーカルのシンプルなピアノ曲です。



=====


レンズの向こう、視界に捉えて薄く目を閉じた

睫毛がひかりに溶けてゆく


わたしにない色をもつあなたをいつもながめて慕う朝

あなたに唯一足りない黒は かわりに髪に揺れている


 何も知らない顔をしてかろやかに生きるあなたは

 少女であるほど生きやすい世界の 色見本

 わたしはずっと あなたのようになりたかった


レンズの向こう、立ち尽くすあなた、

薄く目を閉じた

それすらも光に見えていた


”いっそ白に戻りたいと思っていました”だなんて

何も色のないわたしをみつめてほほえんだ


 何も知らない顔をしてかろやかに生きるあなたも

 少女であるほど生きやすい世界のなかで ゆれる

 わたしはずっと 気づかずにただうらやんでいた


朽ちたバス停は心許なく

わたしにだって朝日はさします


ずっとあなたに憧れていたい

そしてあなたはずっとわたしに憧れていて


=====


作者には、親が仕事で使っていた「色見本」を、借りてきてもらって、ひたすらながめている頃がありました。「色見本」とは英単語帳程度の細長い厚紙にさまざまな色の見本が印刷されたものです(デジタル版もあります)。ながめていると、同じ「赤」や「青」に見えるものでも、実は細かい色の違いがあることがわかって、楽しかったです。


「少女」。


外から見ると、みんなおなじ「少女」に見え、またそう括られる運命にあります。

さてその中身はどうでしょう。

色見本のような細かい色調のちがいには、気づいてもらえていないのかもしれません。


ゆれながらも凛と立つ「あなた」と、そんなあなたに憧れる「わたし」、

レンズ (眼鏡かもしれないしカメラかもしれない) を隔てて向かい合う ふたり、

秋風が肌にふれるころの、やさしいふたりのお話です。


作者は告知の文章に「ガールミーツガール」と書きましたが

だれとだれでも、なんとでも解釈できるなあと思っています。

「あなた」と「わたし」のことを想いながら聴いて頂けるとうれしいです。




8月の終わりに寄せて。

詞曲・歌・ハープ 市井ヒロノ


泣けなくて
かなしくて
わらったの、

人混みのなかで、君は、

「たのしい?」って訊いた。


狂乱の渦にのまれ 

思い切り叫んで笑う

それも健康の証


 わたしはどんどんみがかれて

 ゆたかにたおやかに

 うつくしくなってゆく。

 あなたよりずっとしずかに。


君は君を健やかに生きて

どうかわたしをわらわないでね。


血の匂い

気づかずに、

おしろいの匂いにだけ気づいて、

「かわいい」って言った。


幼稚な言葉しかもたず

思い切り泣いては笑う

それも健康の証


 知らないことを知って

 できないことも知って

 わたしはうつくしくなってゆく。

 それはかなしいことよ。


君は君を健やかに生きて

どうかわたしをわらわないでね。



====


『あなたはだんだんきれいになる』


「智恵子抄」で、高村光太郎はうたいました。


『をんなが附属品をだんだん棄てると/どうしてこんなにきれいになるのか。』


(高村光太郎『智恵子抄』―「あなたはだんだんきれいになる」 より)


身の回りの女性と話す機会があると、楽しい時間を過ごしたあとにかならず、一抹のさびしさを覚えます。女の子はいつまでもつづかないのに、いまは女の子を精いっぱい生きなきゃいけないね、という、さびしさ。

”後輩ちゃん、若い。かわいい。わたしなんかもうばばあだし。あはは。みんなに人気あるのわかるなあ。わたしもだいすき。”

 (しばしば耳にする単語のコラージュ)


この歌の主人公は女の子で、かわいくてやさしいひとです。

人混みの中で「君」―健やかな君―について歩き、いろいろな話をしながら、いろいろなことに気づいてしまって、泣きたい場面なのにそれでもじょうずに笑える、そんな女の子です。


彼女は心の中でうたいます。

だんだん「うつくしくなる」女性の、若さゆえの悲しさを。


市井ヒロノ 最初の活動拠点は「note」と「SoundCloud」でした。

その「note」と「SoundCloud」にて、過去の自作曲を公開しています。

この場所では、曲の思い出を語ります。


・浅い眠り

・線を辿って

・未来

・蜻蛉



===

♪浅い眠り

病院で心電図をとっているときに思いついた曲です。
あの「ピ、ピ、ピ、」という脈拍を示す音、医療ドラマなんかでよく見るから、なんか不安になってくる。楽しい音が側で鳴ってたらいいのにな、というところから。


#1で少し触れましたが 過去に倒れたことがありまして

あれこれ検査をされている時期に作った曲です。心電図にもいろいろあります。しばらく安静にしながら心電図をとるとき、いろいろ器具をつながれながらぼーっと寝ていると、自分の鼓動と機器の音しか聞こえてこなくて不安になります。この曲のような楽しいイメージをもちながら受けていました。(その後MRIもとりましたが、あれは機械音がうるさくて音楽どころではなかった。)

この曲で新しい(ファミコン風の)音色を導入した覚えがあります。かわいい。


♪線を辿って

道路に引かれた白線の上を辿って帰っている小学生を見かけました。

慎重に、慎重に。けれども足がぐらついて白線を踏み外してしまった小学生は、“それでおしまい”なのでしょうか、線などお構いなしに一目散に通りを走っていきました。


昨年の桜の頃に描いていた夢は、病気のためにいちどしぼんでしまいました。何度も倒れ、救急車とか入院とか検査とか、様々な言葉が自分を通り過ぎて行きました。

生活は一変しました。これまで歩いてきた線を踏み外してしまったかのようでした。

体調が悪くても心は案外明るいもので、それがもどかしく、春が来ればきっといくらか良くなるんだと確証もないのに自分に言い聞かせていました。



線を踏み外して、“それでおしまい”とは、思いたくありません。



暖かな春の午後、思い出して、白線に足を乗せてみました。

近所の桜は満開です。また新しい春が来ました。



きっとやり直せる春です。


入院は長引きましたが、生き延びました。よかった。

上に書いてある通り 生活は一変したのですが、いろいろなものの見え方が一気に変わって、2018年の春は人生で一番新鮮な春でした。何もかもが、まぶしい。自由に自分の身体を動かせることがこれだけ楽しいことだとは思っていませんでした。

楽しい音色がつまったピアノ曲です。生命力が戻ってきている。

♪未来


詞曲、歌、ハープ/市井ヒロノ
==
さあ、心の扉を開こう
夢見た世界はそこに
悲しみを通り過ぎてなお、囚われたままでいるのかい
殻の中で、平穏を祈るままでいいのかい
自分にかけた呪いをほどいて
あなたは、もっと、自由だ
自分の中に未来はあって
誰も知り得ない、あなたのほかに
春風が胸を満たす
新しい日が始まる
==
曲を作りました。案外ポップス系のハープ曲ってないなあと思いそんな雰囲気を目指しました。(そもそもポップスを弾くハープ弾きがなかなかいないのか…)
過去にしんどいことがあって、今に至るまでそれを引きずってしまい、もう過去の苦い思い出の域を超えて「呪い」と言えるほど強力なものと化してしまうことがあります。呪いを解いて未来を拓く魔法を持っているのは、自分自身であってほしい、と、そんな小さな夢を見ます。


作詞・作曲・歌、など、昔の自分なら恐れ多くて手を出せなかったでしょう。

とりあえずなんでもやってみよう、という気持ちになり、はじめて「シンガーソングライター」をやってみました。この頃は気力に満ちていました。

ハープをICレコーダーで録って、歌を別撮りして、iPadのGaragebandでバンド音源を(ピアノロール打ち込みで)作り、パートごとに書きだしてミックス。全部素人なので、途方もなく時間がかかりました。3月から作って公開は5月になりました。

市井ヒロノのテーマソングです。よろしくどうぞ。

♪蜻蛉

暑さの中で稲だけが青々と揺れている田舎道を、自転車でゆくときは、いつも心細くて何か適当な歌を口ずさみます。普段は明るい気持ちになりたくて長調で歌っていました。


先日は、稲の上をとんぼがすいすいと何匹も通っていて、とても平和な光景でしたが、口をついて出てきたのは短調の、物悲しいふしでした。そちらのほうが似合うような気がしました。雲一つない青空でした。


真夏に作ったピアノ曲です。

青空が悲しい ということはありませんか。

私は健康でなかったぶん、健康な人にかかっているプレッシャーを知ることがありませんでした。周りは自分より元気に見えるけれども、いつも元気な人もいつも晴れた空も、ほんとうはなくて、多くの人がどこかで無理をしている。無理をして、いつも変わらないようにみせている、

万物流転、変わらないものは ない、そんなことを考えていました。

市井ヒロノ 最初の活動拠点は「note」と「SoundCloud」でした。

その「note」と「SoundCloud」にて、過去の自作曲を公開しています。

この場所では、曲の思い出を語ります。


・りんご飴

・後姿

・初夏の小さな冒険

・薬箱

・夜が明ける


引用は発表当時のnoteより。


===


♪りんご飴

幼いころにお祭りで見た屋台のりんご飴はやけに赤く、そして魅力的で、一度は食べてみたいなと思っていました。結局一度も食べたことはありません。オリジナル曲ですが、どこか聴いたことあるような節でもあり、それが未だにわかりません。

ノスタルジックなオルゴール曲。

ピアノ経験があったため、作曲を始めた頃は「MuseScore」という楽譜作成ソフトで楽譜を書く という作曲方法をとっていました。

上に挙げた話を思い浮かべながら書いていたら するすると曲が完成してしまい、「無意識に何かの曲をなぞっているだけでは……」と疑心暗鬼になったことを覚えています。いまだに”こういう曲を作りたい”と思い返す1曲ですが、なかなかそう簡単にはいきません。なぜ書けたのかわかりません。ビギナーズラックというものでしょうか。



♪後姿(うしろすがた)

オリジナル曲。ピアノとヴァイオリン。
「すれ違った女性をどこかで見たような気がして、去っていく後姿を見ながら胸がざわめく」といったストーリーを想定して作りましたが、どことなくファンタジーみたいな曲になりました。
ヴァイオリンを弾いたことがなく、勝手がわからないので無茶なメロディかもしれません。すみません。

劇伴……『劇伴音楽』(ドラマや映画の音楽)が昔から好きで、小さい頃は劇伴音楽の作曲家になりたいなと思っていたころもありました。映画を見てもドラマを見てもアニメを見ても気になるのはいつも音楽で、これまで買ったCDも歌ものよりサントラの方が多いです。

これが劇伴だとしたらどんなシーンでしょうか。終盤、次回予告の手前、去っていく後ろ姿だけが見える、緊迫したシーンでしょうか。……このような妄想も楽しいものです。



♪初夏の小さな冒険

短いピアノ曲。
GWは良く祖父母の家へ遊びに行ったものでした。山の中だったので周りは自然が一杯で、麦藁帽を被り、鮮やかな新緑の中を走り回った思い出があります。目に映る物事はどれも新鮮でした。今、元気に走り回る子どもたちを見ると、その感性があるうちに色々なことを見聞きしてほしいな、などと考えます。
…こどもの日は過ぎてしまいましたが、そんな風景をイメージした曲です。

自分で言うことでもないのですが、好きな曲です。自分が見た風景が音になっているからです。

話に出てくる祖父母の家は人里離れた山奥にあり、ガードレールすらない悪路を車でゆくときは毎度生きた心地がしませんでした。玄関チャイムもない家は、番犬がインターホンがわりで、いぬ(ポチといいました)が吠えると祖父母が出てきてくれました。

夕方、ポチの散歩が自分に割り振られた仕事でした。ポチと一緒に家の裏の山道をのぼっていくと、新緑がゆれる音だけがざわざわと自分を迎えてくれました。ポチを連れているのかポチに連れられているのかわからないまま坂道をのぼりきり舗装された道に出て、そこからまた来た道を引き返します。猪などが出る山をよくもまあ怖がらずに一人で行ったものだと思います。子供は無敵です。

ポチはもういません。今は祖母が一人で暮らす、あの家。もう一度行きたいです。



♪薬箱(縁側)

オルゴール曲


夏の終わりにいつも思い出すのは実家の縁側です。


子供のころの記憶であることは確かです。すぐに季節外れとなるであろう風鈴が、夏の終わりにまだ揺れていました。縁側の突き当りに棚があって、子供では到底届かない高い位置に薬箱が置いてあり、”薬”という厳めしい字が格好よく見えました。「あの箱取って」と親に頼みたかったけれど何故だか頼めませんでした。


内気な私は、よく縁側に座って、ひとりでぼんやりと庭を眺めたりシャボン玉を吹いたりしていました。当時は今よりもっと病弱でした。薬箱に興味を持ったのは、"薬"という文字を日常的に見ていた故に、どこか親しみを覚えたからかもしれません。


あれから何年も経ち、いまだ病気とは縁が切れないでいます。しかし鏡に映った自分を見て「どうも病弱には見えない」と笑えるだけまだ元気なようです。


夏の終わりにいつも思い出すのは実家の縁側、ひとりで過ごしたあの時間です。


エッセイに曲を添えたと言う方がいいのでしょうか……

シンプルで穏やかな曲。こういう曲をつくりたいですね。

自分と病気との付き合いはおそらく生涯続くのだろうと思いますが、幼少期のことを考えると、少し元気になった部分というのもあり 生きててよかったな~と思います。この曲を作ったときはまだ強がっている時で、「元気」などと言っていますがこの数か月後倒れました。心のどこかで「身体が弱いのはだめなんだ」という気持ちがあったんだと思います。いまはもう、弱くてもそれなりにやろうという気持ちです。

件の薬箱はどこに行ったのか、もうありません。



♪夜が明ける

夜中の3時頃に苦しくて目覚めることがあります。心臓もどこも悪くはないのに。そんなときはなかなか二度寝もできず、ふらふらと窓辺まで歩いて、そこで夜が明けるのを待ちます。


普段は気にならない窓枠の埃などを気にしているうちに、いつの間にか朝が来ています。レースカーテンを通しても尚朝日は眩しく、カーテンのひとつひとつの網目とか、その向こうに流れていく雲までもが気になります。


病弱な人間にしばしば訪れる、繊細にならざるを得ない朝です。


大抵、繊細なのはこの朝のひと時だけにして、あとは1日を、他の人と同じように元気そうに過ごします。朝日の眩しさをいとおしむ精神をもって立ち向かえるほど、私にとって生活はたやすくありません。


ピアノ曲。夜の止まない思考のイメージ。

自分のことを面倒な人間だなと思って生きてきました。この曲を作ったのは2017年の暮れ、一番その「自責」がひどかった時期で、細かいことが異常に気になって、常に自分を責め続けていました。心の健康を考えるとよくないですね。一度経験してみるとまた起きそうになったときに「これはまずいな。休もう。」と気づけるのですが、みなさんは一度経験する前にとにかく休んでください。かなり体育会系の思想のもと育ったので、常に言われていたのは「限界の向こう側」という言葉なのですが、そんなところを目指さないでください。

限界の向こう側は、死です。

未然に防ぎましょう。無事に朝を迎えましょう。


気づけば8月も後半。

お元気ですか。


週に1度病院に行き、薬をのみ、それでもなかなか良くならない体調に、これがもう私の人生なのだろうなという気持ちでいます。生まれてこの方「健康体」を知ったことがありませんが、生き延びてはいます。そんな感じの日々です。

病人なのでただ日々を綴るだけで暗くなってしまう。暗い話が多いこの世の中ではあんまりよくないのかしら。実際のところは、福祉の勉強をする、植物に水をやる(最近雨続きなのでおやすみ)、鉄分入りのヨーグルトを食べる、いい香りのハンドクリームを塗る、などして、楽しく過ごしています。ついでに職をさがしています。働きたいなぁ。


===


市井ヒロノ 最初の活動拠点は「note」と「SoundCloud」でした。


「note」とは文章や画像やサウンドを発表できるクリエイター向けサービスで、「SoundCloud」とは音源(.wav)を発表できるサービスです。

はじめはよくわからないまま、他のクリエイターさんを参考に、見よう見まねで運用しておりました。現在noteはほぼ更新できていない状態で、noteも並行して続けるか、それともこの場所(ポートフォリオサイト+ブログ)にまとめるか、思案中です。

 (市井は音楽を作り文章を書くので どうやらブログと相性が良いらしい)


その「note」と「SoundCloud」にて、過去の自作曲を公開しています。


人見知りで怖がりで社会と接点がまるでなかった私は、曲を公開することで、小規模ながら人とのつながりができました。それもあって、ひとつひとつの曲が思い出深く、つくったときに自分がどんな音楽を聴いていたか、どんな風景を見ていたか、どんなことを考えていたかまでつぶさに思い出せます。

……こんな性格ゆえに「重い」といわれがちです。日常生活では自己顕示欲とか承認欲求とかいわれることもあり、それも確かにそうなのですが、それよりも「思考の量が多い」という表現がしっくりきます。これは自慢でも自虐でもなく、ただそうであるというだけです。たくさん何かを思ってしまうので、それが言葉になってぼろぼろとこぼれます。たとえるなら、とりとめのない話をするラジオ番組、でしょうか。話さずに心にため込んでおくとすぐにつらくなります。今は話すのが上手ではないし文章も長いですが、いつか端的に話せるようになるかもしれません。今の時点では”重くても”思ったことを書くようにつとめます。


この場所では、曲の思い出を語ります。


===



夏休みの宿題は最終日までやっているタイプ


六月最終日に「六月」を公開しました。

曲についてお話をしたいところですが

ほとんどTwitterで話してしまった


回想の歌です。

どういうお話かはあまり語らない方がいいかもしれませんね、いろいろな見方ができるので

それはこの曲に限った話ではない


六月が好きです

ままならないところが自分と似ているので

すこしまとまらない状態の頭 です



六月 
作詞作曲/市井ヒロノ


四限は政治経済
窓の外は眩しい港町

窓際の席で

君は退屈そうに

イヤホンをほどいていた


六月の感情は

夏に溶けて

直ぐに過去になる。


四限は化学実験

変わらず君の席は遠くて

ぬるい風 流れゆくさきに

寂しげな君

静かな午後の教室


六月の感情は

夏に溶けて

直ぐに過去になる。


四限は政治経済

ふと気づき窓の外見下ろした

違う服を着て

髪を明るく染めて

通りをゆく君が居た


君は歩いて行った

明るい港のほうへ

僕たちとは、違うほうへ


作曲をはじめたのはいつごろでしょう、

なにを作曲とするか、によります。

幼稚園で適当に歌ってた鼻歌だって 作曲っちゃあ作曲で。

小学校で適当に吹いてたリコーダーのメロディも そうっちゃそうで。


そういえば はっきりと作曲というものを意識したのは中学の音楽の時間でした。

作曲の課題が出ました。近くの川の風景をイメージした曲を提出したら、先生がそれを授業で紹介してくださいました。内容というより、近隣の自然をモチーフにしたことや記譜が正確だったことを褒めて下さったように覚えています。「中学生の作曲例」としてちょうどいい曲だったのでしょう。

すると(おなじく先生から評価をもらいたい)同級生が、わたしはこういう場所が好きで……自分はこういうイメージがあって……とアイデアを持って集まってきました。その鼻歌を聞いて五線譜に起こして渡すと喜ばれました。イメージが形になるのがとても楽しかったです。いまだに思い出してふふっとなるくらい楽しかったです。


(味をしめ、たしかこんな五線譜ノートをお小遣いで買いました)


と このような思い出があるもので いまだに作曲趣味から抜けられずにいます。

成功体験は大事ですね。とくに成功体験が少なめの人間なのでなおのこと……


作曲が趣味になり、中学高校のころは常に何か曲を作っていました。五線譜ノートに書くのが次第にわずらわしくなり、親に頼んでパソコンに五線譜が書ける無料のソフト(MuseScore)を入れてもらいました。MIDIファイルを書き出してそれをWAVに変換するやりかたでした。音質が気になったのでサウンドフォントを導入して変えてみたりと手探りで、パソコンばかりしていて「ゲーム依存か?」と疑われていました。


さて前置きが長くなりましたが 

そんなころ作った曲が発掘されたので

「人魚とラジオ」。


『吟遊詩人』という言葉を知って、ほーっとなっていたころ。

ハープを奏でながら詩を語る、そのイメージで、頭の中にある物語を文章に起こして、ああでもないこうでもないと、いろいろ直した思い出です。

人魚というと 思い浮かぶのは人魚姫の物語。

「人ではない」ものを描きたくて、選んだのが人魚でした。私は幼い時からずっと心の底に”完全な人間になれない”という暗い思いがあったので人間でないものが好きでした。異形のもの。


異形のものが、人間世界のラジオの音を聴き、わからないかなしさ、

人間にはまったくわからないかなしさ、とは、言えません。




人魚とラジオ
作詞作曲/市井ヒロノ




夕暮れ時の 港にひとり    
人魚がたたずんでおりました  
一人ぽっちで どうして私   
港に居るか解らないのです   
服を着て髪を結わえて、何も 

魚らしい証拠はありません  

考えました 本当は私    

人間なのかもしれないのだと

  

”けれども、わたしは人魚”  

 思い返せどそれは確かで  

 それだけを解って      

 人魚は、         

 水際に立っていました    



港のそばの 古い倉庫は       

いまはもう使われることもなく   

錆びたドラム缶 鉄くずにごみ    

残されたものの住処でした      

人魚のそばに 転がるものは     

古びたラジオ一台でした      

ほんの気まぐれに スイッチ押せば  

声が溢れ出す スカートが揺れる   


”迷うな、わたしは人魚”

 思い返せどそれは確かで

 髪をかきあげて

 人魚は、

 耳を澄ましていました



そして小さな そのラジオから

涙の声が流れてきました

深い呻きは しだいに消えて

ラジオの命は尽き果てました

話をやめた ラジオを手にし

人魚はいちど目を伏せました

そして水際に歩いて行って

海にラジオを投げ捨てました



  ラジオが教えてくれました 

  暖かさも優しさも悲しみも

  名前こそ知ってはいるけれど

  わたし何もわからなかった



”わたしは、人ではないんだ”

 思い返せどそれは確かで

 それを知ったのに

 正しく、笑うことも泣くこともできない、

"わたしは人魚”

 思い返せどそれは確かで

 傷つきたくても、

 そういう、気持ちにもなれなくて



夕暮れ時の 港でひとり

人魚は足を水に浸して

静かに波止場に座り込んで

海の向こうを眺めていました





夏はわりと健康でして、

そのため 「夏」曲は いくつかあります

なかでも、ハープを生かした、という意味では 忘れ得ぬ一曲

「青葉」

青葉という言葉が好きです。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という、江戸時代の俳人・山口素堂の句で最初に覚えたんだと思います。
初夏の風物詩を詠んだこの句を、この曲の「私」は思い出しているようです。
自作曲です。青葉のころを越えて旅立つ「私」の回想。


発表したときにnoteに書いたコメント。

この句は「目には青葉」が正確といわれてい(るはずでし)て、語呂がよくなかったので「目に青葉」を採用しました。不正確な引用。


オケを先に作ってハープを後から録りました。ハープがなかなか合いませんでした。

時々入るざわーっとした音は、実際に録音した木々のざわめきの音です。

ミクさんがかなりはまってくれてうれしかったなー



ハープは その清らかで爽やかな音色が、初夏の風を思わせます。

曲調もさわやかなので すーっと聴ける、と思います。

すーっと 聴けてしまう。


「明るい風景を描写した曲に、暗い心情の歌詞は合わないでしょう」


こう仰ったのは大学の先生だったか、ハープの先生だったか、どなたか忘れてしまいましたが、わたしはこの言葉がずっと、ひっかかっています。

知りうるかぎり、明るい風景は、つねに明るい心と共にはありませんでした。泣いて帰った日に見上げた空は青く澄んでいたし、緑がぎらぎらと揺れる夏も、金色の稲穂が揺れる秋も、つらかったし悲しかったし、別れもありました。心が陰る日、街はその活気で私を刺すように輝いていました。


「青葉」の主人公は 街に住んでいます。あの子、だって、います。

それでも 去るのです。


旅に出るのに良い季節、

あなたはどこからどこへ、そしてわたしはどこからどこへ ゆきましょうか。






「青葉」
作詞作曲/市井ヒロノ


坂を下りきれば駅への道。
スーツケースは秘密の分だけ重い。

すれ違った自転車は勝ち気なあの子みたいで。


雨宿りの軒を通り過ぎる。

錆び付いた看板、煙草の抜け殻。

あの子にも言わずに、西日の中をゆく。


ものを知るたびに、街の色は薄れていった。

けれど、光が差して、眩さに見上げれば、


“目に青葉、”

私、この街に住んで

見渡した景色、世界の全てと、思ってた。


坂を下りきって駅への道。

振り返ると影が後ろ髪引かれてる。

さよならの他に言うことなんて無いはずなのに。


“目に青葉、”

私、この街の夏を、思い出すかな。

きっとどこかで。